朗読劇「Love Letters」神戸公演

時間があるので、ようやく。もはや1ヶ月経ってしまいましたが…
エチカ朗読劇「Love Letters」神戸公演、終了しておりまして。
遅きに過ぎますが、ご来場いただいた皆様、関係者の皆様、旧グッゲンハイム邸の皆様、本当にありがとうございました。
 
あらためて、終わってしまいました。ああ。
 

今回、エチカさんに声をかけて頂いたのは一昨年の年末で、昨年3月頃から、1年間にわたり、少しずつ少しずつ稽古してきました。それだけ長く一つの作品を稽古できたことはまずないことでした。また、一つの役をその一生を通じて(50年くらい)させていただいたのは、おそらく生まれて初めてでした。
 
最初に読んだ時には正直、翻訳の言葉遣いに慣れないのもあり、「なんだかいけ好かないやつだ」と思ってたアンディが、読み込むにつれ、どんどんどんどん自分の痛い過去を連れてきて…、激しい同族嫌悪→もはや異国の他人とは思えない…と思えるようになってきてからは、俄然やる気、というか、使命感すら湧いてゆきました。この、どこまでもイタイかっこわるいどうしょうもないアンディを、俺が演らなくてどうする…!と。
 
大きく稽古が動いたのは年明けからだったような気がします。他の公演や落語などの舞台を挟んだときに、自分の身体が以前とは少し変わってしまうということ。そして、意識しなくてもできていたことが、意識した途端にできなくなる、ということ。
いつもぶち当たる命題といえば命題なのですが、今回ほどハッキリと、自分の身体を「楽器」みたいに感じたのは初めてのことでした。朗読という「声」だけで演じる形態だったから、より自分にとってわかりやすかったのかもしれません。そして楽器だとして、どのようにチューニングすればよいのか、を考えたときに、自分のことは自分が一番よく知っているようでいて、一番わかってないものだなあと、改めて痛感しました。改めて痛感するのが趣味の僕ですが、かなりの痛感ぶりでした。

主宰のエチカさんには、どこまでも辛抱強くダメ出し、叱りなだめすかし、最後は正直体調管理まで監督していただき、迷惑をかけ通しの上、完全に操縦しきっていただいた感が満載で、もうどうにも頭が上がりません。そして、何度も読みを確認し、一緒に驚いたり絶望したり再度希望を持ったり…と、アンディとメリッサよろしく、一年間手をたずさえて乗り越えてこられたこと、嬉しかったです。この企画に選んでいただき、ありがとうございました。
また、年が明けてからのメリッサの演技の可憐になり具合(日本語へただ…)には、本当に驚愕しました。そこからのアンディのメリッサを思う読みが、加速しました。最高に素敵でした。
そして池田さんのアコーディオン、聴いた瞬間に即、あの世界に入っていける感じ、いまでも録音を聴けば味わうことができます。すごい安心感でした。早くCDにならないかな。

本番当日は、なぜか緊張感も少なく、自分も読みながら、「おいおい怒りすぎやろ」とか「それはないわ…」とか、時々お客さんと一緒にアンディを見ているような、不思議な気分で、それでいて、120%アンディとして生きることができた、ひたすら楽しく、幸福な2時間でした。忘れません。あの空気。


Gurneyさん、青井さん、素晴らしい脚本を、ありがとうございます。


写真は、あとは終演後、解放感でアホみたいになってる僕と、元町で馬と戯れる池田さん。
帰りの電車で、エチカさんと。
そして今回一番助けられた参考文献、名作「めぞん一刻」に感謝をこめて。