[]ラーメン、仕事、三国志


●大晦日・電車やみいちの予約は、明日28日の22時より。こちらのページにて。よろしくお願いします。



●夜、心斎橋の「山頭火」に行く。新しい仕事先がそばにできたので。毎週行ってしまいそう。こってりの「藤平」に、バランスの「一風堂」、そして優しさの「山頭火」が僕のベスト3ラーメンだ。シナチクの「あらうま堂」が入ってなかった。次点とする。すべて、チャーシューの絶妙なとろけ具合がポイント。



●そういえば先日、たぶん6年ぶりくらいに東京ラーメンに行った。京大の近くにある、鼻歌を歌いながら麺をゆでる親父が名物の、ラーメン屋。一時期、閉まってしまったという噂が流れ、それを聞いた東京の友人と僕は、未確認のまま、「親父、くたばっちまったのか・・・」と、寂しく酒を飲み語り合ったことがあった。



●親父は生きていた。何事もなかったかのように鼻歌を歌い、麺をゆでていた。客も以前と同じく無表情に注文し、待ち、食っていた。僕も無表情で、麺大盛りと小ライスを注文した。ライスにつく沢庵のうまさも、以前のままだ。調子に乗り、「卵乗せてください」と注文した。親父と目があった。親父は元気だ。卵をラーメンにかけ、無表情で、喜んだ。



●半年経って、やっと仕事が面白くなってきた。「ひとはひとに教えることも教えられることもできない」吉本隆明のことばの意味が、やっと少し掴めてきたように思う。教えるのではなくて、そこに学びが起こるように、環境を、空気を整えること。あるいは気持ちをエンパワーしてあげること。一時期は人間関係もうまくいかず、なんでこんな仕事に・・・とブルーになったけど、少しずついい感じになってきた。収入は公務員時代にはまだまだ届かない。でも自分の思ったように収入を組み立てていけるのは充実感がある。働けば働くほどお金は入るが、暇はなくなる。考えないとな。それにしても天引きでなく自分で払うと、税金や健康保険とかがボディーブローのように効いてくる。先日は区役所へ行き健保の減免申請をした。そういうものがあることも知らなかった。窓口のおばさんに「あら、我が社にいたんじゃない、あなた」と言われた。市では、市のことを「我が社」という。



●土曜日、肥後橋の職場でゲド戦記の翻訳者、清水真砂子さんの講演があり、聴きに行く。教員として、いまの子どもたちを考える、というテーマだったが、素晴らしかった。「教室が<わからせなくちゃいけない>場所になっている」よくわかる。「先生は生徒を<教えなくちゃいけない>」。個別対応をしていると先生―生徒関係の逆転現象が起こる。こちらが立ち止まって考え込んでしまうときがある。そういうとき子どもたちの目は輝き出す。デスノートや映画、自分の答え、勉強法を教えてくる。それが一時だけ起こるだけでも、ずいぶんと、空気がまろやかなものになる。



●いくつか、「ゲド戦記」に触れて話された。自分の人生をどう閉じるかということを考えていて、「ル=グィンがゲドを最後まとめず拡散させて終わらせたことをものすごくよかったと思っている。まとめない、ということは、他者に対する信頼がないとできないことで、そのようにありたい気持ちが高まってきた」そう、仰っていた。ものすごく頷いて聞いてしまったが、最近まとめるのが面倒になってきた自分への言い訳か?

●映画版の宮崎吾朗氏に、3巻を中心に・・・と話され、「あ、親殺しを考えてるな」とすぐ思ったそうだ。あの映画は賛否両論を呼んでいるが(大多数は批判だが)、親殺しが「いいか悪いか」ではなく、吾朗氏にとってそのときそれは、どうしてもやらなければ前に進めなかったことだた、という言葉が、嬉しかった。



●今日から5日間、老人ホームのパソコン教室。月1回で、3ヶ月目になる。3ヶ月連続で来てくれている方が二人いて、その二人の進歩がめざましくて嬉しい。難しい促音(小さい「っ」)も打てるようになった。「インターネット」についてたくさん質問を受け、けっこう考えさせられる。あれは、アメリカかどこかにすごく大きなコンピュータがあって、そこで、データがぜーんぶ管理されているのかい?いやいいや、特に誰かがインターネット全体を管理しているんじゃなくてですね。世界中のプロバイダ会社などが24時間アクセスできるサーバー、というものを持っていて、そこに住所がついていて、その住所を入力したらそこのデータに飛べるのです、とものすごくおおざっぱな説明を試みる。でも間違っているかもしれない。どうなんでしょう。しくみについて考えたことはあまりなかった。いつもは隣のカラオケルームから演歌が流れてくるのだけど、今日は静かだった。聞くとホーム存続のために、中之島市庁舎に陳情に行っているとのこと。



●明日は「蒼天航路」画集の発売日。原作者が死んでしまってからはクオリティ落ちる、という人もいたが、読み返してそんなことは全然ないと思った。生きることの残酷、そしてそれ故の悦び。法正、荀イク陳宮、周ユ…。幾人の死に泣いたか。あまりにも、カッコよすぎて。あるいは、その死のかっこ悪さの、生々しさに。いま文庫で読んでいますがもうすぐ郭嘉が鮮烈に散りそうで、ヤバイ。「あんたらからは戦のにおいがしてこないんだよ」 「軍師なんてものはどうしようもなく戦が好きで、常に頭の中ではまだみぬ敵とまだ知らぬ過酷な戦を戦っているものだろうが!」ああ、かっこいいなあ。「義」とは切り離し、ただ「器の大きさ」がどかんとある劉備、という解釈は圧巻だし、董卓をここまでカッコ良く書いた三国志は他にない。楽しみ。