[]診断結果。


行岡病院のO先生は、ダンサー山下残さんをキツくしたような二枚目。

村上春樹の小説に出てきそうな話し方をする。

「他の医者でスルーされてきて、僕が見つけること、多いんだよ。」

このとても信頼できるO先生に、

右膝に溜まった血を抜いてもらって二度目の診断。



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ワゴンRに当てられたのは今月の9日。

その後行った大阪・医誠会病院での診断は、

右ひざの強い打撲・全治1週間だった。

病院を変えたらどうだ、

じん帯損傷、全治3ヶ月。





医誠会の担当医は、あまりにもこちらの話を聞かない医者だった。

暖めても右足先の温度が上がらない。

これは右ひざから先に血が行ってないのでは?

そのことを言うと、担当医はちょっと怒った口調で



「そんなことは!ありえへんなぁ。」



いや、ありえへんって。

実際にそうなんですが。



「いやそれは。ちょっと俺には説明できへんから。じゃあ薬出しとくから」



ちょっと待て。



それによく考えたらこの医者、ほとんど俺のひざに触ってない。





――――――――――



雪の中、違和感の残る足をひきずり、病院を変えた。

そして行岡病院でO先生に会った。

僕の右ひざを見るなり早速注射針が刺され、

40ccの赤い液体が抜かれる。



「これだけ血が溜まってるのを1週間ほっとく医者ってのは、

ちょっとわからないな。」



その後レントゲンを撮りなおし、

O先生はさまざまな方法・角度から右足を曲げたり押したりする。

その入念さと手間のかけ方に安心する。



病院変えてよかった、ほんとに・・・

「僕の推測なんだけれども、後十字じん帯、切れてるよ。全治3ヶ月。」







「えっ。(五秒くらい時間停止)



 切れてる?

       …ですか?」





「前の病院のMRI、あまりにも下手だから判りにくいけどね。



切れてるか、一部つながってるかやね。」







ひざには4本のじん帯がある。

2本はひざの外側で、残り2本は内側で、

上下の骨をくっつけてずれないようにする役目をしている。

内側の2本は十字にクロスしていて、

そのうち後ろ側を支えているのが後十字じん帯だ。



それが、切れている。

そう聞いて自覚したのは

上下の骨が妙にリアルにぐらぐらするのだ。



O先生はひざの模型を目の前において、

小学生にもわかるように丁寧に説明してくれた。







今日もひざから血を抜かれる。

この間よりかなり薄くなって、もうほとんど水だけになってる。



血を抜かれて痛くて「うっ。」と何度か言ってしまった。

「痛がりだな、君は。」と言われる。





「日常生活に、支障はないと思うよ。普通に歩いてね。

ただ、1月12日にMRIを撮り直して、

もし半月板か軟骨が損傷してたら、これは手術したほうがいいなあ。





「君が一生歩いていていいなら、問題ないよ。

でも子どもができて一緒に野球したり、

たとえば地震が起きたら逃げないといけないだろう。

そうしたらいくらなんでも走らないといけないよな、やっぱり。」



自分のひざの話をされているのに

O先生のあまりにも不思議なたとえ&言い回しに

5年後の未来に連れて行かれそうになる。



…いかんいかん。

これは、現在の俺の右ひざの話。





「ズバリ聞きますが、これは100%は治らないんですか?」



(少し間)



「70か80パーまでは戻ることが多いよね。100は難しいと思う」







あー。



いろんな意味で、今年は節目の年だなぁ。



と、なぜか腑に落ちるものがあった。







そのあとリハビリの説明。

足を引きずった歩き方をしていたので怒られる。



「しっかり歩かないと駄目だ。

もしかして君は、自分を自分をケガ人だと思ってないか?」



え、・・・思ってる・・・と思いますが。



「(ため息をつき)・・・君は、ほんとに痛がりで、怖がりなんだな。」



そう・・・でしょうか?



「足は使わないとすごい勢いで力を落としてしまう。

筋肉なんか相当落ちてしまっているだろう?

これからリハビリをしっかりしないと駄目だ。

そして普通に体重をかけて歩く。

それが一番のリハビリになるんだよ。わかった?」



は、はい。



「(目をじっと見て静かに)・・・君は、ケガ人じゃないんだ。」





(目が点)



…君は、一人じゃないんだ。とか言われたかと思った。







しかし痛がりってのは分かるが、

じん帯切れてるって言われて、怖がらない神経は・・・ないなあ・・・。





この愛想笑いを一切しない、不思議なO先生(山下残さん似)のもと

リハビリ・治療を続けていくことになった。



30歳、確かに新しい展開になってきた気がする。

…あ、武者震いが。






初めて持ち歩いたよ。