燐光群『スタッフ・ハプンズ』



心斎橋・ウイングフィールドで、燐光群「スタッフ・ハプンズ」を観る。


あらためて、ウイングフィールドは良い劇場だ。この天井の狭さ、密閉感。テナントビルの5階、というどこへもいけない空間から離陸せざるをえない。だからこそ生まれる一体感と、トリップ感。芝居の途中、手に汗握るシーンで隣のOさんをふと観ると、なんか落ちてた。うつらうつら寝てた。おろ?と思ったが気にせず観ていたら、むくっと起きた。・・・後で聞くと酸欠状態になったらしい(偶然再会した後ろの席のUさんも、酸欠だったという)。さらにこの劇場は24時間開いているのだ、すばらしい!そしてスタッフ的には地獄らしい!(と終演後Uさんに聞いた)


大阪の誇る名・小劇場だ。




●芝居だが、素晴らしかった。約3時間ぶっ通しで転換しまくりしゃべりまくりで、まったく長さを感じさせない。ああ、終わりか…と思いながらラストのイラク人民の長台詞(これがよかった、大西孝洋)を聞いていた。いつまで続いてもいい気がした。漫画的には「おいおいネーム多すぎだろ」状態なのだ、ここの芝居は。久しぶりに見たので台詞のスピードと量に最初ついていけなくて、速聴か?と思った。もう、3倍速かと。だが時間が経ち慣れていくと、この脳がついていけない台詞量が、麻薬となる。


そして劇団という集団の威力を見た。歴史をしっかり積み重ねてきた集団の力を。


川中健次郎はじめ、おっちゃん(じいさんか?)連が素晴らしかった。とくに川中さんは台詞を噛みまくっていて、それがまたぐっと来るのだ。川中さんが国立劇場で演じた、あの背筋のピンと伸びた小泉八雲もまだ鮮明に記憶に残ってる。この人はもういくつになったんだろう。そして一体いくつの舞台を踏んできたんだろう。台詞を噛んでしまってもそのテンションはびくともしない。いささかも衰えない。まったく意に介せずしゃべりまくり、そしてまた、噛むのだ。おいおい、というくらい噛むのだ。そのあられもない姿を美しいと思ってしまう。台詞を噛むことに役者としての<生きざま>を見せられることなんて、そうはない。


先日の「身体の裏側?」ワークショップで大野慶人さんが引用した小林秀雄が思い出された。


「『美しい花』はあっても、『花の美しさ』は無い。

だから自分が花になるしかない」




内容は911後のアメリカ政界。ジョージ・ブッシュコリン・パウエルコンドリーザ・ライスディック・チェイニートニー・ブレアなどが登場人物だ。みんなとても似ていたのだが、パウエル国務長官があまりにもそっくりで(吉村直)すごかった。そして穏健派パウエルの苦悩はマスコミでも時折報道されていただけに、とても近しいものだった。パウエルさんっていま実際どうしてるんだろうか。アメリカの良心が陸軍の最前線から生まれた、ということに現場というものへの希望を感じる。そして良心とよばれるものが決して報われるわけではない、という現実にも。デフォルメはあっても感傷は排されて進むのが群像劇の良さだ。いい人過ぎるブレア首相(杉山英之)も面白かった。淡々としたブッシュ(猪熊恒和)はハマリ役だったが、そこで演じられていたくらいに実際ブッシュが聡明だったらば、ちょっと救われるな、と思った。舞台上のブッシュは意志はあったけど、まるで天皇のように真空だったから。




●外交について、また考えた。最終的には超大国の力がものをいうこの世界で、どのようなコミュニケーション、そしてカードが切られるのか。その方法論。身の処し方。


日本の外交は(そして自分にも重ね合わせ)まったく幼稚だな、と思った。そこで可能な情緒とは、凍てつくような覚悟と「諦め」の上に生まれる情動の交錯だ。浪花節のような(何があっても、あなたについていくわ、あたし)ストーカー的日本的情緒の入る隙間は、まったくない。



終演後、さっきまで舞台上にいた友人・内海常葉(大量破壊兵器査察団・ブリックス委員長役)と再会。元気そうだった。充実しているようで、気がみなぎってるのを感じた。

うれしかった。