2006-3-22



●ひさびさに書く。


●その後日記から離れている間、仕事はどんどん忙しくなり、そんな忙しさで死にそうな時によりによって台湾に行き、人と会い、食いまくり、歩き回り。そして帰ってきて猛烈な食あたりになり、病院で点滴・検査。感染性腸炎。胃腸のダメージは相当大きかったらしく、10日たってまだ引きずってるくらい。だが日々の現場は待ってはくれず、雨の中原付濡れねずみと化し走り回ることになっていたのだった。


●そんなわけで胃腸は身体の大黒柱だ。ときどき労ってやらんとね!という教訓だった。日々の体調なんてほぼ胃腸の奴隷だということがずいぶんはっきりした。けれど、それでも食ってしまうのだ。美味しいものたちは目の前に次々と、現れる。そういう世界だ、この世界は。俺にとって。でっかい宝島だ。食の。


●大阪のYMCAで非常勤講師として補習を担当することになった。といってもコマ数も少なく駆け出しとしてだが、少しずつ関わり方を模索していこうと思う。午前中なので予定が立てやすいし、なにより色んな学びができる現場だ。らくだプリント(いつか詳述)も扱うし。自分のらくだプリントは、中3−22まで行った。中3は44枚あるのでちょうど半分だ。去年の夏、小1から始めてここまできた。頑張ったなあと思うが、やはりこれはあきらめさせず頑張らせるだけの力を持った、教材なのだ。よくできてる。


WBCをちゃんと観戦したのは準決勝の韓国戦と決勝だけだった。それもそれぞれ数イニングのみ。つまり日本が気合い入れ直していい試合をし始めてからしか観てない。それでもこれだけ嬉しいのだ。とある若者は就職面接をすっぽかしたらしい。それはどう考えてもいかがなものかという感じだが、ともあれ韓国戦の上原は格好良かったなあ。前に上原の本を読んだことがあるが、彼の「野球ノート」を見ると、彼がどうやって野球へと意識的になっているかがかいま見えて面白い。実はとてもデータの人で、メンタルに対して意識的な選手だ。そして、なによりイチローのことを始めてちゃんと好きになれた気がする。感情をむき出しにする彼のスタンスはそれもまた意識的な作り方の一つで、同時にショウにもなっている。そのあたりは松井秀樹と並んでさすが大リーガーだ。この二人についてはまた書きたい。そして、王監督は再び世界の王になった、そのことも嬉しい。長嶋の「孤高のカリスマ」の魔術もすごいが、「滋味あふれる努力”王”」の闘志がチーム全体ににじみ出して、天下を取った。そんな抑制された意志の感じに、すごく好感を持った。韓国戦では最初数イニングだけ観て、ちょっと用事してから外に散歩に出た。喫茶店でパンを食べて二階の本屋に行こうとしたら、TV画面が9回表、日本大勝を告げていて、サラリーマンたちの輪ができていた。その中に入って試合終了まで観戦していた。





終わった瞬間誰からともなくため息がこぼれた。幸せな空気が流れた。そして、三々五々、散っていった。


●病院にて、4回目のMRI。O先生(山下残さん似・・・と思っていたが最近そうでもないなと思う。ただ、物腰が端正なのだ。そして友達になりたいが、なかなかなれなさそうな感じとか。)が「3ヶ月になるんだね」と少し感慨深く言って、足を触診した。「左膝、かたいなあ。キミは人間も硬いが身体も硬いな。」


MRIで観たが、問題のじん帯の色は3ヶ月で一部がほんの少しだけ色が濃くなっていた。3ヶ月たって、たったこれだけの回復なのだ。関節内の回復は遅いんだよ、と先生。良いニュースは、水がたまりにくくなったこと。半月板等に依然損傷はみられないのでおそらく手術は不要と言うこと。軽く小走りしたり、自転車に乗ってもいいこと(正座はダメ)。なにより筋トレが大事だと言われた。右膝の表と、ふくらはぎをしっかりトレーニングすること。筋力を戻すこと。


●台湾は食あたりにはあったが、相当楽しかった。ので時間できたら旅行記を書きたい。写真は100枚ほど撮った。忘れないうちに書いておかねば。書けないエピソードもあるなあ。ほんと楽しかった。40年前の日本って感じだった。エネルギーだけがどんどん蓄積されて行ってて、行き場なくでたらめに放出されてる感じ。無軌道で、良くも悪くも人々が物事を深く考えていないことが、不思議な解放感を抱かせたのだ。





●料金督促の仕事も一年たって、自分なりにコツを掴んできた。一番大事なのは「遠慮」だ。距離をとり、遠くから、おもんぱかること。決して、圧力をかけてはいけない(もちろん相手によるが)。最終的には停水してしまう、という権力を背負っているのだから、可能なかぎり遠慮して伝えないと、高圧になってしまう。ただし必要なことは全て伝えないといけないが。いい仕事だったと思う。ここにきてとても勉強している感じだ。





どん兵衛ミニ(赤)を食う、駐車場から、空を


●顔なじみになったオモチャ屋に督促に行くと、今月末で閉店するとのことだった。「わあ、このあたりの子ら、寂しくなりますねえ」「…仕事辞めたらどうするねん、って言われるけれども、辞めてからのことは辞めてからしか分からんからな・・・」それを聞いて、「いや、実は僕も、今月末で辞めるんですよ、この仕事」と話す。だが、全然驚かれず。「…これで3人目やわ」「え?」「いや、こないだ来たニッセイの兄ちゃんもそう言ってたし、関電の子もそうやったしなー」驚いた。年度替わりとはいえ、…3人目。「呼んどんのかなあ、わしが」料金全額、支払ってくれた。


●もう1ヶ月も、京都に行っていない。京都の友人たちと会っていない。それだけでこんなに欲求不満になるのか。次回やみいちのミーティングも始まったが、体調不良で行けなかった。俺にとって、京都とは、何なんだろうか。働き場は大阪と決まったのに。あきらかに、からだは京都を欲しているのだ。京都不足だ。4月は京都に行くぞ。行ってやる。行くんだ京都に俺は。